シネマとライブと雑多な日々

映画やライブを見て感じたこと、考えたことを気ままに綴ります。

♯今日の1本 ポール・グリーングラス監督の『ボーン・スプレマシー』

2002年公開の『ボーン・アイデンティティー』の続編。その後、『ボーン・スプレマシー』『ボーン・アルティメイタム』『ボーン・レガシー』と4作のボーンシリーズが作られているが、ここでは2作目のボーン・スプレマシー』について。

原作は、ロバート・ラドラムの「殺戮のオデッセイ」。主役のジェイソン・ボーンを演じるのは、前作同様、マット・デイモンである。

はっきり言って、マット・デイモンの良さがとんとわからないのだけど、この映画は意外な拾いもんであった。あまり期待せずに観たのだけれど、ラストに行くに従って、鳥肌もんのシーン満載となるのだ。

これは、主演マットの功績もあるのだろうが、やはり監督の力も大きいと思う。

第1作目のボーン・アイデンティティーの監督を務めたフランク・マーシャルは製作総指揮に退き、新しい監督に、イギリス生まれのポール・グリーングラスを抜擢。なんと、ハリウッドの、しかも大作に挑むのは初めてという監督。

しかし、抜擢のきっかけになったという映画『ブラディ・サンデー』(日本未公開)は、2002年のベルリン国際映画祭で、金熊賞を受賞している。この年、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』も金熊賞を受賞していて、ベルリンでは異例のダブル受賞が話題になったが、もちろん、日本では宮崎監督の話題ばかりが先行。ポール・グリーングラス監督の『ブラディ・サンデー』は日本で公開もされなかった。

確かに、公開するにはかなり地味な作品である。アイルランドで起こった1972年の“血の日曜日事件”を描いていて、カトリック系市民のデモ隊と監視役の英軍が、数人の投石をきっかけに衝突し、多数の死傷者を出す惨事になる様子がドキュメンタリー・スタイルで描かれているという。

パンフレットによると、この監督は、長らくテレビのドキュメンタリー・シリーズを製作・監督してきたそうで、ハリウッドがなぜにこの監督を抜擢したのか、その原点ともなる『ブラディ・サンデー』に俄然興味がかき立てられるところ…。

で、『ボーン・スプレマシー』に戻るが、はっきり言って、この映画もかなり地味である。地味すぎちゃって、最初の10分くらいは睡魔が襲ってきたりした。舞台はインドのリゾート地ゴア→イタリアのナポリ→ベルリン→モスクワへとめまぐるしく移動するが、華麗に舞台が転換という雰囲気はない。太陽が差すのは最初のほうだけで、後は、暗く、どんよりと曇った中で物語が進む。

今回、マット演じるボーンの恋人は、インドで早々に殺されてしまって、彼はその彼女の復讐のため、そして、彼のいまだ戻らない記憶探し、そして過去への償いの旅という様相を呈している。

新たな恋の話はいっさいなし。

対峙するCIAの側にも、陰謀話は出てくるが決して大掛かりなものとは言えない。

じゃあ、何が良かったのかというと、何とも言えない哀愁と物悲しさ、ラストに行くに従ってひたひたと畳み掛けるようになっていく映像の魅力、そして、地味だけど奥行きのある役者の演技なのだと思う。

今回、かなり派手なカーチェイスシーンがあるが、これも、胸躍るアクションというのとは全く違う。切れ目なく続く映像からとにかく目が離せないし、車も、乗っている人の身体も、ぶつかって、壊れるカーチェイスの終焉は、とてもとても痛くて、心痛い感じなのだ。

クールでスタイリッシュというのとは違う、生身に感じるアクションシーンと言えばいいだろうか? 今まで見た、ハリウッド映画のカーチェイスシーンとは全然違う、迫力のある物悲しさがあったのは、やはり、ポール・グリーングラス監督の持ち味が強烈に出た、いや、出せたからなのではないかと思う。

マット・デイモンと言えば、当時はアメリカの好青年という印象だったが、この映画では体重をかなりしぼり、ラストに行くに従って、目の下には隈ができてやつれた感じになっていく。「きゃ〜、そのやつれ方がすてき!」とは決して言えないのだが、好きでも何でもないマットがかなり渋くて、クールでかっこいい男に見えるから不思議…。

心はキュンとしないので、個人的には演出の魔力だと思うのだが、マットのファンの人はきっとしびれるに違いない。

この映画、音楽もかなり好みで、サントラに興味がわいた。

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素直に感動できず、なんかもやっとしたジョナサン・デミ監督の最新映画『幸せをつかむ歌』

2月に観た『ビューティー・インサイド』(この映画、最高だった)のときに流れた予告編を見て、「母と娘の感動ものだぁ」「きっとさわやかに泣ける」と妄想して観に行ったこの映画。※少しネタバレあります。

Twitterなどでは結構、絶賛する声が多いようなのだけど、見終わって感じたのは「なんかすっきりしない」というもやっとした思いだ。

メリル・ストリープ演じる主人公のリッキーは、ロックシンガーになるために、家族と別れる道を選んだ女性である。女性なのに、リッキーという男性名で活動し、レコードデビューもしたようだが、今はスーパーのレジ打ちのアルバイトをしながら、「リッキー&ザ・フラッシュ」というバンドを率い、夜はパブでライブをしている。

そんな彼女のもとに、元夫から、「離婚した娘がふさいでいて不安定なので来てくれないか」という連絡がきて、娘の結婚式にも行かなかったリッキーが、なけなしのお金をかき集めて、娘の元に駆けつける。※スーパーの仕事はどうするの?とちょっとギモンがわき起こる。

離婚した夫の家は、住宅街の中に入るときに守衛の前を通らなければならないような大豪邸。元夫は再婚しているのだけど、その妻は自分の親の介護のために里帰りしていて今は家にいない。※この妻は後で出て来るのだが、なんかストーリー展開は都合が良すぎる感じ。

そして、迎えた娘はもちろん反発して悪態をつくが、翌日には素直に謝って、一緒に美容院に行ったりする。※その支払いは、娘の離婚した夫のクレジットカードでちゃっかり済ませる。

てっきりリッキーには娘ひとりしかいないかと思っていたら、息子も2人いて、ひとりは結婚間近。その婚約者も交えた家族での食事会では、もうひとりのゲイの息子に「お母さんは2回もブッシュに投票した」と責められたりする。※進歩的な女性かと思いきや、実は保守的な女性でもあった。

元夫を演じているのはケビン・クライン。何の映画に出てたかすぐには思い出せないけど、絶対見たことある、いかにもアメリカ人という雰囲気の俳優さん。今、ググってみたら、『デーヴ』(この映画、すごい好きなのに、この映画に彼が出ていることを忘れてたなんて)とか、『ワンダとダイヤと優しい奴ら』とか、代表作いっぱいでした。

で、このケビン・クライン演じる元夫は、冷蔵庫にマリファナを隠しもっていて、それを元妻のリッキーに発見されるのだが、せめられるどころか、リッキーに誘われて娘と3人でマリファナを楽しむことになる。

このマリファナのエピソートは、母と娘の和解というテーマからすると、別になくてもいいじゃん的な流れで出てきてとても違和感あった。何より、「マリファナ=非合法」の感覚の日本人からすると家族3人で堂々とマリファナ!!!と気持ちがざわざわ。アメリカでも非合法だと思い込んでいたけど、ググってみたら、2014年1月からコロラド州では嗜好品としての大麻販売が解禁となったらしい(知らなかった)。

後から考えると、ケビン・クライン演じる夫は、再婚した妻に満足しながらも、人間としても妻としてもきちんとしてるが故に、窮屈さを感じていて、リッキーの奔放さに心ひかれるシーンとしても必要だったのかなぁと思うのだけど。。。

で、結局、再婚した妻が帰ってきて、リッキーは自分の家に帰ることになるのだけど、その後は、リッキーと娘のエピソードというより、リッキー中心に物語は進んで行く。

思いを寄せられていたバンドメンバーの思いを受け入れて熟年カップルとしての熱々シーンが出てきたり、呼ばれないと思っていた息子の結婚式に呼ばれたもののお金がない、さあ、どうする!!!となって、バンドの彼が多大なる自己犠牲を払ってくれて結婚式にかけつけることができ、最後は結婚式で「リッキー&ザ・フラッシュ」が演奏してみんなで大盛り上がり! ※最後のシーンは感動しながらも、バンドメンバーの旅費は誰が出したのか、気になってしょうがなかった。

ということで、物語の流れ的には大円団のラストシーンに向かって感動へのスムーズな流れが用意されているのだけど、前半同様、後半も所々にざらつくようなひっかかるシーンが出てきてなんだか素直に感動できない。

この映画に出てくる「リッキー&ザ・フラッシュ」というバンドのメンバーは、メリル・ストリープ以外すべて本物のミュージシャンだ。リードギターはリック・スプリングフィールド、キーボードはバーニー・ウォーレル、ベースはリック・ローザス、ドラムはジョー・ヴィテイル。特に、リードギターのリック・スプリングフィールドは、主人公リッキーの恋人役となるわけだが、60歳を超えているとは思えないスリムさとイケメン&セクシーさで、演技力もあったのでとても素敵だった。

脚本を描いたのは、ストリッパーから脚本家になり、『JUNO/ジュノ』でアカデミー脚本賞を受賞したディアブロ・コディ。彼女の義母が、6人の孫がいながらロックミュージシャンとして週末はライブをしているそうで、この女性をモデルにしているそうだ。

監督は、あの『羊たちの沈黙』のジョナサン・デミ。音楽ドキュメンタリーをてがけたり、この映画の前には、薬物治療中の妹が姉の結婚式に帰ってくるという『レイチェルの結婚』という映画を撮っている。

映画の原題はその名も「RICKI AND THE FLASH」。予告編とタイトルにつられて母娘の感動ものとして観ようとしていたけれど、60歳過ぎの女性ロッカーの物語として感動を求めずに観るべきだったかもしれない。

ジョナサン・デミ監督の本意はどうだったのだろうか。

ストーリーは感動をあおっていたように思うけど、所々に皮肉が込められていたように思うし、物事こんなにうまくいくわけないよね、というご都合主義なところも結構あったし。。。

人によって、いろいろな受け取り方ができる映画なのかもしれない。

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♯今日の1本 ラブシーンに思わず涙。地味だけど疲れた心におすすめの映画『歓びを歌にのせて』 

スウェーデン映画である。

2005年の公開当時の雑誌には、「指揮者として大成功をおさめた男が心臓を病み、田舎のコーラス隊の指導を通して、新たな人生の歓びを見い出していく……」と紹介されていた。

果たしてこれは、音楽映画なのか、男の再生の物語なのか、ちょっとつかみかねる気もしたし、宣伝ポスターの主人公は、どう見てもくたびれた中年男で、イケメン好きとしては決してそそられなかったのだけど、なぜか気になって、気になって、その年のファースト・シネマとして観た。

……で、とっても良かったのである。

主人公のくたびれた中年男が、物語の最後の方で、年の離れた若き女性とついに愛を確かめ合うのだが、そのシーンに思わず涙…。ラブシーンに生つばを飲み込んだことはあるが、涙したのは初めてだ。

しかも、「えーっ?」と思うような裏切りのラストだったのに、音楽はもちろん、それに絡めて描かれた人間ドラマはとっても感動的だった。

スウェーデンはコーラス人口の多い国だそうである。

心臓を病んで、幼い頃に住んだ土地に帰った主人公のダニエルは、教会の聖歌隊の指導を引き受けることになるのだが、そこには、牧師の奥さんをはじめ、20代から80代のさまざまな男女が集っていた。そして、それぞれが、笑顔の影に、夫の暴力や恋人の裏切り、厳格な夫との冷たい関係などなど、さまざまな悩みを抱えていた。

世界的な指揮者の大胆な指導方法で、聖歌隊はぐんぐんうまくなっていくのだが、同時に、それぞれの生き方にも影響を与えていく。

この映画は、男の再生物語としてだけでなく、その周辺の人々の再出発劇としても楽しめる。登場人物はほとんどみんな、どこにでもいそうなおじさん、おばさんばかりなのだけど、それが逆にリアルだし、一方で、コーラスのシーンはとてもドラマティックで、映画的魅力に満ちている。

特に、「ガブリエラの歌」は鳥肌もんである。思わずサントラCDを買ってしまったほど!

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♯今日の1本 チェ・ゲバラの若き日の旅を描いた『モーターサイクル・ダイアリーズ』

アメリカのオバマ大統領がキューバを訪問するという歴史的なニュースに接し、2004年に公開された、この映画のことを思い出した。

オバマ米大統領、歴史的なキューバ訪問開始 - BBCニュース

 

今から65年ほど前、アルゼンチンに実在した23歳の医学生・エルネストとその先輩・アルベルト。

2人の青年がおんぼろバイクで南米大陸を旅するこの映画は、ロードムービーであり、冒険物語であり、青年たちの成長物語でもある。

そしてまた、観客にとっては普段あまり知ることのない南米大陸の自然、そこに住む人々、ラテン・アメリカの社会的・政治的現実に、否応無しにふれることになる、一粒で二度も三度もおいしい味わい深い作品だ。

2人の旅は、アルゼンチンのブエノスアイレスから始まる。隣国チリの海岸線を走り、ペルーのクスコやマチュピチュ遺跡を抜け、アマゾン川を下り、奥地にあるハンセン病療養所へと、全行程1万キロ以上の道のりである。

エルネストは、若き日のチェ・ゲバラキューバ革命の英雄である。

この映画を見ることで、チェ・ゲバラへの興味はすごくかきたてられるが、それは若き日の彼に革命家の片鱗があまり見えないからでもある。

ゲバラを演じるガエル・ガルシア・ベルナルは、哀愁を帯びたまなざしが似ているぐらいで、写真で見て知っていたゲバラよりずっと、きゃしゃな印象だ。

映画にも描かれているが、実際のゲバラは、幼い頃からぜんそくに悩まされていたそうである。その発作シーンは見ているこちらが息苦しくなるほどで、自分のことだけで精一杯のはずなのに、なぜ革命家への道を選んだのだろうと思わされる。それほど、画面のゲバラははかなげでもある。

一方でスポーツを愛し、たいへんな読書家で、ダンスが下手でと、とっても人間味あふれる人物だったらしく、それもきちんと映像化されている。

人よりちょっとばかし正義感のある青年が、1万キロに及ぶ旅の中で、知らなかった現実を見て、それをきっかけに自分の中の何かが変わるのを感じた…。

この映画はそれを、淡々とした中にも説得力をもって描き出している。

映画は、ゲバラ自身が書いた「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」などを原作にしている。かねてから企画を温めていたというロバート・レッドフォードが製作総指揮を務め、監督は、『セントラル・ステーション』で一躍有名になったブラジル人のウォルター・サレス。

世界各地でさまざまな紛争や内戦、テロが起きている今、もう一度この映画を観たらどんな感想がわくのだろうか。いろいろなところに考えがいって、こんがらがりそうな気もする。

革命家としてのチェ・ゲバラを描いたものには『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳 別れの手紙』という映画もある。それを観ていないので、今さらだけど、観てみようと思う。

 

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何か起こるかわからない、おどろおどろしさをじっくり味わうべきタランティーノ監督の新作映画『ヘイトフル・エイト』

キル・ビルVol.1』以来、ずっとご無沙汰していたクエンティン・タランティーノ作品を久々に観た。

タランティーノ作品と言えば、血みどろだし、血みどろだし、血みどろだし…ということで、観に行かなくてもいいかなぁと思っていたけれど、Twitterで流れてきた「web DICE」の骰子の眼の記事にちょっと惹かれてしまった。

なんでも、映画美術を種田陽平さんという日本人の方が担当したというのである。

製作費50億円!やりたい放題のタランティーノ新作、映画美術・種田陽平が秘話語る|極寒の山小屋で血みどろの惨劇!撮影はLAスタジオをまるごと冷蔵庫に - 骰子の眼 - webDICE

特にネタバレしている内容ではないので、観る前に読んだのだけれど、映画美術のことだけでなく、日本とハリウッドとのシステムの違いや、映画美術に対するアプローチの違いなどいろいろ踏み込んだ内容で、長いインタビューだけれど一気に読めた。

映画はタイトルロールから、なんだか昔々の古き良き時代の映画っぽさ満載。

特に第88回アカデミー賞の作曲賞を受賞したエンニオ・モリコーネの映画音楽と、カメラワークがめちゃめちゃいい。

馬車が雪道をただただ走るシーンなのに、どこからか何かとんでもない物がでてくるんじゃないかとドキドキする。

吹雪で足止めをくらった人々が、山小屋でコーヒーを飲んだり、シチューを食べたり、前半は淡々とした描写が続くだけなのに、床に落ちたゼリービーンズを執拗に映し出したり、壊れてしまった扉からの出入りを何回も繰り返したり。何が起こるのだろう、誰が犯人なのだろう、と観ているものが臨場感をもって密室劇に参加できる仕組みになっている。

終盤に向かって一挙に血みどろ度が増すのだけれど、今までに比べれば血みどろの度合いというか、過激さは少なく感じた。血みどろを格調高く描いたというか、とにかく、元祖映画オタクらしい、古き良き時代の西部劇の雰囲気とそれに目一杯タランティーノ味を振りかけた一癖も二癖もある映像美がじっくり味わえる。

何でも、この映画は70ミリフィルムで撮ったらしく、アメリカでは専用の映画館で公開したほど、凝りに凝っているのだけど、残念ながら日本ではそんな専用映画館は全国にないので、本来、監督が見せたかった状態での上映は叶っていないもよう。

フィルムについて詳しい知識がないから、アメリカで上映されたものと、日本で私たちが観たものと、どんな違いがあるのかわからないのだけど、少なくとも、『ヘイトフル・エイト』は、自宅の小さいテレビで観るよりは、映画館の大きいスクリーンで観たほうが数倍楽しめるだろうなと思える作品だった。

最後、まさかの場所を撃たれるサミュエル・L・ジャクソンとか、最初だれだかわからなかったカート・ラッセルとか、お役人役が妙に似合うティム・ロスとか、懐かしくも芸達者な役者さんがたくさん出ていて、なんか、NHKのドラマを見ているような安定した気持ちで、血みどろの密室劇が楽しめた。

gaga.ne.jp

 

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♯今日の1本 親子もの、少年もの好きにはたまらない! 涙・涙の『ネバーランド』

この映画、とにかく泣ける!

中盤あたりから、涙のツボを押されまくりで、ジワジワ、ジワジワと絶えず涙が流れていた。ピーターを演じるフレディ・ハイモアくんが、とにかくかわいくて、彼が親を慕う気持ちが何とも切なくて、泣けてしまうのだ。

ネバーランド』は、あの誰もが知っている「ピーターパン」の、ほとんど知られることのなかった原作者ジェームズ・バリと、物語誕生のきっかけとなったフレディ・ハイモアくん演じるピーターとの出会いと交流を描いた映画だ。

ピーターパンというと、私と同世代の人は、新宿コマ劇場(今はもうないが…)での榊原郁恵さんの舞台劇を思い出すだろう(今だと、きっと今度NHKの朝ドラをやる高畑充希ちゃんでしょうか)。当時、友人がコマ劇場に勤めていて、「リハーサルで郁恵ちゃんの代わりに空を飛んだ」と言っていたのがとても懐かしい(古すぎる…)。

当時、舞台を観た記憶では、ピーターパンが飛ぶシーンとマンガちっくなフック船長のみが印象に残ったくらいで、本来の物語に宿っている、「大人になりたくない子ども」というとても繊細なキーワードには、何ら心動かされることはなかった。

ピーターパンへの認識が変わったのは、物語の生誕100年を記念して作られた実写版『ピーターパン』(2004年公開)を見てからだ。

舞台では、女性が演じることが多かった主人公ピーターパンを、まさに思春期まっただ中の少年、ジェレミー・サンプターが演じ、ウェンディとのほのかな恋の要素も絡まったこの映画は、とても新鮮な印象だった。

大人への入り口に立つ思春期特有の大人っぽさ、そして子どもっぽさは、やはり大人になった女性が演じるより、そのまっただ中にある少年が演じた方がいいに決まっている。

思春期の少年像で印象深いのは、『スタンド・バイ・ミー』のリバー・フェニック
ス、『誰も知らない』の柳楽優弥などだが、この映画の、ジェレミー・サンプターも美しくて、切なくて、もうお母さん世代には胸きゅんの魅力だった。

この映画を見て初めて、『ピーターパン』の奥深さに気づき、「なんだ〜、子ども向けだと思っていたけど、子どもより大人が感動する作品だったのねぇ」と感じた次第。

ネバーランド』のフレディ・ハイモアくんは、実は思春期にはまだちょっと早い少年だ。でも、お父さんを早くに亡くし、愛するお母さんも病に倒れてしまって、もう傷つきたくないから、もう泣きたくないからと、夢見ることや無邪気に期待することなど、子どもならではの感情を押し殺して生きようとしている少年だ。

その少年が、ジョニー・デップ演じるバリと出会うことで、悲しみを乗り越えて生きる力強さや、悲しくてもなお、夢を持つことのすばらしさを教えられ、またバリも、少年や少年の家族から、ぬくもりや、人生のどうにもならない無常を受け止めて、生きることを教えられるのだ。

この作品は、2005年の第77回アカデミー賞で作品賞や主演男優賞などかなりの賞にノミネートされ、受賞は作品賞のみだったが、評価も高かったのだと思う。

個人的には、正統派ジョニー・デップより、『ショコラ』などのセクシー系ジョニー・デップが好みだが、この映画での抑えた演技も確かに良くて、主演男優賞ノミネートも納得の出来。

そして、やっぱりうならされるのは、ピーターの母親役のケイト・ウィンスレット。監督から、だいぶ演技を抑えるように指導されたそうだが、ほんと、親子のやり取りが自然体で、しらけることなく画面に没頭して泣かされてしまう。

そして、ラストシーンのフレディ・ハイモアくんの演技! うまい子役にありがちなあざとさが全然なくて、真に純粋ちっくでたまらない。

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戦争について考えるとき、忘れられない2本のドイツ映画『ヒトラー〜最期の12日間〜』と『白バラの祈り〜ゾフィー・ショル、最期の日々』

人間的な面を持っていたからこそ余計に恐ろしい…。
ヒトラー〜最期の12日間〜』

1945年4月、ベルリンのドイツ首相官邸

じわじわと迫りくるソ連軍の攻撃によって、ベルリンは収拾のつかない修羅場に陥って行く。ヒトラーは、首相官邸の地下要塞に側近と愛人のエヴァ、秘書らと引きこもり、前線の部隊に檄を飛ばすが、状況はますます悪くなるばかり…。

すでにベルリンを逃げ出す兵士がいたり、市街戦では愛国心に燃える子どもが満足に武器のない中で戦い、病院には負傷兵が次々と運び込まれ、医師が血まみれになって負傷兵の手足を切り落としている。

この映画は、ヒトラーの最期の12日間を克明に描き出すと同時に、彼が引きこもった地下の上では、どのような修羅場が繰り広げられていたのかを詳細に描き出して見せている。

ヒトラーが指示したユダヤ人への組織的殺害(ホロコースト)。これによって、600万人ものユダヤ人が殺害されたという。

子どもの頃、その名も『ホロコースト』というタイトルのテレビドラマがあった。初めて観たとき、すごい衝撃を受けたことを覚えている。若き日のメリル・ストリープが出演していたことぐらいしか記憶にないが、ホロコーストという言葉と、ヒトラーのことは、深く記憶に残った。

その後も、幾多のドラマ、映画でヒトラーの悪魔的所業を垣間みたが、なぜ、それほどの大量殺人が国家的に行えたのか、については深く考えたことがなかった。なぜなら、それは単にヒトラーという個人の問題だと思っていたからだ。ヒトラーという類いまれなるカリスマ性をもった、およそ人間とはかけ離れた悪魔的人間によって行われた犯罪であるから、自分の身近に起こりうる次元の話とは到底考えられなかったからだ。

しかし、この映画を見て、悪魔的人間が必ずしも悪魔的日常を送っているわけではない、ということを今更ながら思った。

この映画について、ヒトラーの人間的側面を描きすぎている、国家的犯罪を描かずに、ヒトラーおよび彼の親衛隊たちを美化して描いているという批判もあるようだ。でも、私はそうは思わなかった。

あれほどの殺人を行った悪魔的人間が、愛人や秘書、側近の前では、普通の人とさほど変わらないということ、いやそれ以上に、ちょっとした気配りや優しい言葉をかけてくれる、見方を変えれば愛すべき人間だったという、その恐ろしさに愕然としたのだ。

心の中の悪意を巧妙に隠し、柔らかい物腰で近づいてくる人に、私自身はころっとだまされてしまいそうである。

例えば、身近にいる人間がとても愛すべき人間であるとしよう。でも、本当はその裏に、恐るべき思想を持ち、悪魔のような所業を行っていたとしたら…、それを自分は見抜き、告発することができるのだろうか?

ヒトラーの人間的側面を見せつけられたことで、遠い世界のことだったあの時代が、一挙に自分の生きる今の世界と地続きでつながっているのだと、感じられたのだ。

それは、この映画がヒトラーの秘書を務めていたユンゲという女性の内省的手記に触発されて作られたことに一因していると思う。1942年から45年まで、ヒトラーの秘書として働いていたトラウデル・ユンゲは、ヒトラーのすぐそばで、第三帝国が崩壊していく一部始終を目撃した。2002年に手記「私はヒトラーの秘書だった」を発表しているのだが、戦後すぐに書かれたこの手記が日の目を見るのに、実に50年もの時が必要だったことになる。

手記と一緒にユンゲのインタビュー映画『死角にてーヒトラーの秘書』(アンドレ・ヘラー&オトマー・シュミーダー監督)が公開されていて、多分、この映像を引用しているのだと思うのだが、『ヒトラー〜最期の12日間〜』の冒頭と最後に、ユンゲ自身の独白が挿入されている。

その中で彼女は、「ヒトラーの秘書だった当時、ユダヤ人の大量虐殺は知らなかったし、自分はまだ若かった。でも、今は若かったことが知らなかったことの言い訳にはならないと思っている。当時、私と同じくらいの年で、ゾフィー・ショルという女性がヒトラーに異を唱え、処刑されているということを後に知った。目をきちんと見開いていれば、わかったはずなのだ」というような告白をしている。この言葉は、映画が終わった後、いつまでも心に残る。

目をきちんと見開いていないと、自分の知らないうちに悪事に加担してしまうこともあるかもしれない。

 

ナチス批判のビラを配り逮捕された女性の最期の5日間『白バラの祈りゾフィー・ショル、最期の日々』

2005年のベルリン国際映画祭で、銀熊賞(最優秀監督賞&最優秀女優賞)を受賞し、2006年のアカデミー賞でも外国語映画賞にノミネートされた映画。

この映画は、2006年の公開初日にシャンテシネで観た。そして、運良く監督のマルク・ローテムントさんと、白バラのメンバーとして当時ビラを配っていたという白バラ財団名誉理事長のフランツ・ミュラーさんの舞台挨拶を見ることができた。

この映画は、ヒトラー時代の末期、ナチスを批判するビラを撒いて逮捕された21歳のゾフィー・ショルという女性の最期の日々を描いている。驚くべきことに、彼女は逮捕されてわずか5日で、ギロチンによる処刑で殺されている。ただビラを配っただけで…である。

白バラやゾフィーについての映画は、これまでドイツ国内でも何回も映画化やテレビ化されてきたということだが、舞台挨拶での監督の話によると、3年前(2003年)に彼女の取り調べに関する未公開文書が存在することを知り、それを発見することで、彼女の最期の5日間を克明に再現する映画が出来たということだった。

監督はまだ若く、エネルギッシュにこの映画について語っていたのがとても印象に残った。監督はとっても情熱的な人だったが、映画はとても冷静な視点でゾフィーの最期の日々を追う。

ミュンヘン大学でビラを配る息詰まるシーンから、処刑のシーンまで、ゾフィーが何を考え、どのように行動し、処刑されたのか。

ゾフィーを演じたユリア・イェンチがすばらしい。逮捕された当初は、ビラを配ったことを否定し、罪を逃れようとする。うまくやれば、処刑されずに済んだかもしれないのに、なぜ彼女は途中で自分のしたことを認め、取調官や裁判官に自分たちの主張を堂々と語ることができたのか。

彼女が、自分が見た夢を語るシーンがある。

深い穴の中に落ちそうになる自分の赤ちゃんを助けるために、自分の身を犠牲にするという内容だった。

そのシーンが今も忘れられない。

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